母は「あなたはお医者さんに4回も『この子はもうダメです』って言われたの」と私に言い聞かせていた
今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 その26
https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1574669829/
721: 20/04/13(月)18:28:53 ID:rh.lj.L2
私が幼い頃、母からよく
「あなたはお医者さんに4回も『この子はもうダメです』って言われたのよ」
と言い聞かされていた。
殆どが物心ついてない頃に起きたことなので順番はよくわからないんだけど
1.喘息の発作が薬を吸入しても収まらず、意識を失ったとき。
2.40℃の熱が出て病院に担ぎ込まれ、全身を氷で冷やされても一向に熱が下がらなかったとき。
3.入院中の夜中、鬱陶しかったのか自分で点滴のチューブを引き抜いてしまい出血、運悪く隣の簡易ベッドで寝泊まりしていた母が朝起きるまで誰にも発見されず出血多量になったとき。
4.これは覚えてるんだけど、入院中夜中に目が覚めてしまい隣を見ると簡易ベッドに母がいなかった。
周りを見回すと病室の向かいのトイレに明かりがついてるのが見えて、幼かった私は明かりがついてる=人がいる=母がいると思ってベッドから身を乗り出した所で記憶は途切れてる。
身を乗り出してそのままベッドから落ち、病院の固い床に頭を打ち付けたらしい。
上記の4回共に母は医師から「この子はもうダメです。助かりません。」と言われたらしいのだが、毎度毎度私は回復して生き延びたので、この子はそういう星の元に生まれたんだと思った父母。
だからあなたの名前には「生」という漢字が入ってるんだよとしょっちゅう言い聞かせられていた。
確かに私が小さい頃の記憶のほとんどは病院でのものだったし、大人になった今でも手には大量に点滴の痕が残ってるし
幼稚園に入る頃には喘息の吸入器を携帯用も据え置きタイプのものも自分一人でも使えるように叩き込まれていたし
体を悪くして入院したときも、年に一度の検査入院のときも、落下防止のためか私のベッドにはガチガチの柵が取り付けられていた。
その事はいつも母と二人きりの時に言い聞かせられていて、なんとなく他の家族とは話したことがなかったんだけど、小学校中学年くらいのときにふと父に
「私って、小さい頃4回もしにかけたんでしょ?だから名前に生って漢字が入ってるんでしょ?」
と聞いたところ、目を丸くした父に
「えっ?違うよ!5回だよ!」
と言われて仰天。
父曰く、母から語られなかったもう1回は、母が私を出産して取り上げられたとき、なんと私を抱えていた看護師が手を滑らせて私のことを床に落とし、生まれて数分でしにかけたらしい。
赤ん坊落とすって何事だとか、5回もしにかけて特に後遺症や障害も残らず生きてる自分が信じられないとか、色々と衝撃的だった。
母がそれを出産直後なせいで記憶になくてそもそも知らなかったのか、それとも生まれた直後に落とされたのよなんて可哀想で本人に言えなかったのかは、私が小学2年生の時に母が亡くなってしまったのでわからない。
あと聞いた当時は子供で何も思わなかったけど、大人になってから当時の賠償金とか慰謝料とかその看護師の処遇、病院の対応なんかが気になってて、父に会ったら聞こうと思ってるのに毎回忘れてしまってる。
余談だけど、その話を私にした後、ニコニコと笑いながら
「いやぁ、もしもあの時お前がしんでたらあの看護師ころしてたよ!」
と言い放った父も中々に衝撃的だった。
「あなたはお医者さんに4回も『この子はもうダメです』って言われたのよ」
と言い聞かされていた。
殆どが物心ついてない頃に起きたことなので順番はよくわからないんだけど
1.喘息の発作が薬を吸入しても収まらず、意識を失ったとき。
2.40℃の熱が出て病院に担ぎ込まれ、全身を氷で冷やされても一向に熱が下がらなかったとき。
3.入院中の夜中、鬱陶しかったのか自分で点滴のチューブを引き抜いてしまい出血、運悪く隣の簡易ベッドで寝泊まりしていた母が朝起きるまで誰にも発見されず出血多量になったとき。
4.これは覚えてるんだけど、入院中夜中に目が覚めてしまい隣を見ると簡易ベッドに母がいなかった。
周りを見回すと病室の向かいのトイレに明かりがついてるのが見えて、幼かった私は明かりがついてる=人がいる=母がいると思ってベッドから身を乗り出した所で記憶は途切れてる。
身を乗り出してそのままベッドから落ち、病院の固い床に頭を打ち付けたらしい。
上記の4回共に母は医師から「この子はもうダメです。助かりません。」と言われたらしいのだが、毎度毎度私は回復して生き延びたので、この子はそういう星の元に生まれたんだと思った父母。
だからあなたの名前には「生」という漢字が入ってるんだよとしょっちゅう言い聞かせられていた。
確かに私が小さい頃の記憶のほとんどは病院でのものだったし、大人になった今でも手には大量に点滴の痕が残ってるし
幼稚園に入る頃には喘息の吸入器を携帯用も据え置きタイプのものも自分一人でも使えるように叩き込まれていたし
体を悪くして入院したときも、年に一度の検査入院のときも、落下防止のためか私のベッドにはガチガチの柵が取り付けられていた。
その事はいつも母と二人きりの時に言い聞かせられていて、なんとなく他の家族とは話したことがなかったんだけど、小学校中学年くらいのときにふと父に
「私って、小さい頃4回もしにかけたんでしょ?だから名前に生って漢字が入ってるんでしょ?」
と聞いたところ、目を丸くした父に
「えっ?違うよ!5回だよ!」
と言われて仰天。
父曰く、母から語られなかったもう1回は、母が私を出産して取り上げられたとき、なんと私を抱えていた看護師が手を滑らせて私のことを床に落とし、生まれて数分でしにかけたらしい。
赤ん坊落とすって何事だとか、5回もしにかけて特に後遺症や障害も残らず生きてる自分が信じられないとか、色々と衝撃的だった。
母がそれを出産直後なせいで記憶になくてそもそも知らなかったのか、それとも生まれた直後に落とされたのよなんて可哀想で本人に言えなかったのかは、私が小学2年生の時に母が亡くなってしまったのでわからない。
あと聞いた当時は子供で何も思わなかったけど、大人になってから当時の賠償金とか慰謝料とかその看護師の処遇、病院の対応なんかが気になってて、父に会ったら聞こうと思ってるのに毎回忘れてしまってる。
余談だけど、その話を私にした後、ニコニコと笑いながら
「いやぁ、もしもあの時お前がしんでたらあの看護師ころしてたよ!」
と言い放った父も中々に衝撃的だった。
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