【墜】伯父を奪ってしまう形になってすみませんでした。
879: 名無しさん@おーぷん 2018/06/01(金)10:11:26 ID:PzB
昔、放置児だった。
母が30歳で癌で亡くなり、父は阪神大震災で亡くなった。
四歳になったばかりの私だけは、その時一時的に母の腹違いの兄(伯父)に預けられていたので助かった。
伯母は
けど子供の感覚って敏感なもので、
伯父は血のつながりの薄い私を
伯父と伯母には二人の子(従姉弟)がいて、確か小学校中学年と高学年だった。
伯母は私のことを死んでほしいと思っていたので家に居場所はなく、従姉弟たちも伯母に合わせて私を邪魔者扱いしていじめてきたので、自然と放置児になった。
私は常に外にいて寂しかったから、お友達になれる子を探し回ってた。
だけど4歳、母の姿は自宅か病院のベットの上だけしか記憶に無い私は、社会的な振る舞いは身について無かった。
何が大人の常識で、何が非常識なのかまるでわからない。
大人から怒られても、じゃあどうすればいいのかわからない。
その時私が知っていたことと言えば
友達に誘われて遊びに行ったら何時までに帰るのが常識的か、たとえ誘われたとしても頻度が多ければときには遠慮する、何かを与えてもらったら自分もお返しする、あげると言われても簡単にもらってはいけない、そんな簡単な当たり前のことさえ解らなかった。
そんな私に常識を教えてくれたのは、私の被害者になったお母さん方や近所のおじちゃんやおばちゃんだった。
私を警戒して気をそらすためか、公園で大人たちから
私が拙いながらに両親はいないこと・おうちに入れてもらえないことを伝えたので、同情したりお節介を焼いてくれた人たちが私を教育してくれた。
公園には時計があって、
「お家で遊ぼう」と誘われても私の母のように病気の人がいたりすることもある、だからお誘いされてもお家の人が「いいよ」と言ってくれているか、きちんと許可をとることを教えてくれた。
お菓子をもらったり玩具をかしてもらうのはいいけど、もらうことばかりだとお友達が減っていくことを教えてくれた。
危険につながることや間違った振る舞いをしたら、体罰を交えてでも叱ってくれた。
だけど、周りの大人が教えてくれるルールを一つ一つ覚えていった。
常識が身につくにつれて、親がいないと私のやることに責任を持って許可してくれる大人がいなくて、
同時に私のやろうとしていることが正しいのか、正しくないのか判断もできなくて、動けなくなっていった。
そうなると人の前にいるのが辛くなって、人の来ない場所で隠れるようになった。
もしくは伯父の家から歩いて二時間ほどの図書館に一人で行っては、本や紙芝居を眺めて過ごした。
図書館は給水機もあるし、トイレもあるし、屋根もあるし、とても過ごしやすかった。
だけど夏の日、伯母と従姉弟がプールに行って私は家から閉め出された8月上旬。
水も飲まずに家を追い出されたので、図書館までの道で熱中症で倒れてしまった。
どこの誰かもわからない私のために、通りがかったおばさんが助けてくれて家に連れ帰って氷と飲み物をくれた。
おばさんはすごく怒っていて、私はずっと
私の記憶はそこまでで、その後どのくらいか記憶がなくなってた。
次の記憶では伯父と二人だけで暮らしてた。
それから20年して知ったことだけど、従姉弟たちは伯母の連れ子で、伯母は伯父と再婚してから突然2歳と3歳の従姉弟たちを引き取ってきていたらしい。
私は伯父に引き取られてからも年相応の社会性が身についてなかった為、小学校に行ってから苦労したけど、それでもご近所のお母さん方やおじさんおばさんたちのおかげで、ギリギリ人間らしいふるまいはできていたと思う。
母が30歳で癌で亡くなり、父は阪神大震災で亡くなった。
四歳になったばかりの私だけは、その時一時的に母の腹違いの兄(伯父)に預けられていたので助かった。
伯母は
「預からなければ一緒に厄介払いできたのに」
と、私が意味を理解できないものと思って私に向かって言ってた。けど子供の感覚って敏感なもので、
『死ねばいいのに』
と言われていることは良くわかった。伯父は血のつながりの薄い私を
「妹の忘れ形見だ」
と私を引き取ってくれたけど、医者だったので忙しく、家に殆ど帰ってこなかった。伯父と伯母には二人の子(従姉弟)がいて、確か小学校中学年と高学年だった。
伯母は私のことを死んでほしいと思っていたので家に居場所はなく、従姉弟たちも伯母に合わせて私を邪魔者扱いしていじめてきたので、自然と放置児になった。
私は常に外にいて寂しかったから、お友達になれる子を探し回ってた。
だけど4歳、母の姿は自宅か病院のベットの上だけしか記憶に無い私は、社会的な振る舞いは身について無かった。
何が大人の常識で、何が非常識なのかまるでわからない。
大人から怒られても、じゃあどうすればいいのかわからない。
その時私が知っていたことと言えば
・他人を傷つけてはいけません。
・他人の物をとってはいけません。・他人の家に勝手に入ってはいけません。
・他人の物を欲しがってはいけません。・挨拶をしましょう。
・お礼を言いましょう。
ほんと、こんな些細なことだけ。友達に誘われて遊びに行ったら何時までに帰るのが常識的か、たとえ誘われたとしても頻度が多ければときには遠慮する、何かを与えてもらったら自分もお返しする、あげると言われても簡単にもらってはいけない、そんな簡単な当たり前のことさえ解らなかった。
そんな私に常識を教えてくれたのは、私の被害者になったお母さん方や近所のおじちゃんやおばちゃんだった。
私を警戒して気をそらすためか、公園で大人たちから
「あなたはだあれ?お父さんとお母さんは?おうちはどこ?」
と聞かれた。私が拙いながらに両親はいないこと・おうちに入れてもらえないことを伝えたので、同情したりお節介を焼いてくれた人たちが私を教育してくれた。
公園には時計があって、
「時計があの形になったら、みんなお家に帰るの」
と、それ以上遊び相手を引き止めてはならない時間を教えてくれた。「お家で遊ぼう」と誘われても私の母のように病気の人がいたりすることもある、だからお誘いされてもお家の人が「いいよ」と言ってくれているか、きちんと許可をとることを教えてくれた。
お菓子をもらったり玩具をかしてもらうのはいいけど、もらうことばかりだとお友達が減っていくことを教えてくれた。
危険につながることや間違った振る舞いをしたら、体罰を交えてでも叱ってくれた。
(なぜ?)
と思うことは多々あった。だけど、周りの大人が教えてくれるルールを一つ一つ覚えていった。
常識が身につくにつれて、親がいないと私のやることに責任を持って許可してくれる大人がいなくて、
(私にはできることが少ないんだ)
と気づいた。同時に私のやろうとしていることが正しいのか、正しくないのか判断もできなくて、動けなくなっていった。
そうなると人の前にいるのが辛くなって、人の来ない場所で隠れるようになった。
もしくは伯父の家から歩いて二時間ほどの図書館に一人で行っては、本や紙芝居を眺めて過ごした。
図書館は給水機もあるし、トイレもあるし、屋根もあるし、とても過ごしやすかった。
だけど夏の日、伯母と従姉弟がプールに行って私は家から閉め出された8月上旬。
水も飲まずに家を追い出されたので、図書館までの道で熱中症で倒れてしまった。
どこの誰かもわからない私のために、通りがかったおばさんが助けてくれて家に連れ帰って氷と飲み物をくれた。
おばさんはすごく怒っていて、私はずっと
(また私が間違ったことしたから怒ってるんだ)
と思って、朧げな意識でずっと「ごめんなさい」とうわ言のようにつぶやいてた。私の記憶はそこまでで、その後どのくらいか記憶がなくなってた。
次の記憶では伯父と二人だけで暮らしてた。
それから20年して知ったことだけど、従姉弟たちは伯母の連れ子で、伯母は伯父と再婚してから突然2歳と3歳の従姉弟たちを引き取ってきていたらしい。
だから伯父はあっさり離婚して伯母たちを置いてきたそうだ。
私は伯父に引き取られてからも年相応の社会性が身についてなかった為、小学校に行ってから苦労したけど、それでもご近所のお母さん方やおじさんおばさんたちのおかげで、ギリギリ人間らしいふるまいはできていたと思う。
880: 名無しさん@おーぷん 2018/06/01(金)10:12:29 ID:PzB
今私も当時私をしつけてくれたお母さん方と近い年齢になり、同じ立場になったことで改めて感謝の気持ちが湧いてきたので書き込みました。
そしてよく他人から叱られてキレる親がいるけれど、“子供の未来を狭めないであげてください” と伝えたい。
大人の求めるふるまいをできない子は、そうだと悟ったとき、他人の目で雁字搦めになって動けなくなります。
適切な振る舞いを教えてあげてください。
最後に元従姉弟たち、元伯母さん。
二度と伯父の遺産目当てに現れないでください。
そしてよく他人から叱られてキレる親がいるけれど、“子供の未来を狭めないであげてください” と伝えたい。
大人の求めるふるまいをできない子は、そうだと悟ったとき、他人の目で雁字搦めになって動けなくなります。
適切な振る舞いを教えてあげてください。
最後に元従姉弟たち、元伯母さん。
良き父であり、夫であり、たった一人で家庭の収入を支えていた伯父を奪ってしまう形になってすみませんでした。
「許して欲しい」
と伯父に願い出て、伯父が「(私)が許すなら」
と言い、私が許さなかったことでどん底に突き落としてすみませんでした。
両親の遺品を勝手に捨てたこと、二人のお金を従姉弟のために使い込んだこと、私の体に何度も針をさしたり線香を押し当てたこと、傷跡にアルコールを塗り込んだこと、私には一度も謝らなかったこと、私は一生許しません。
二度と伯父の遺産目当てに現れないでください。